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| 説明 (説明板から) 筒城宮伝承地 京田辺市多々羅都谷 越前から迎えられ樟葉宮で即位した継体天皇が、即位後5年から12年(511-518)弟国宮に移るまでの7年間宮が置かれたところである。 京田辺市郷土史会が、昭和36年(1961)筒城宮跡顕揚会を結成し当時の明治神宮宮司、甘露寺受長氏の筆になる「筒城宮址」石碑を建てた。併せて当時の村田太平会長(1888-1976)の筒城宮を讃える歌碑も副碑として建っている。 現在、ここの地名が「都谷」であるところから筒城宮の伝承地とされている。筒城宮跡の解明が待たれる。 京田辺市教育委員会。京田辺市文化財保護委員会 筒城宮址を顕揚する石碑とその変遷 「日本書紀」によると、継体天皇は河内の樟葉宮に次いで、山背の筒城宮に宮を遷されたという。また、その地は、仁徳天皇の皇后磐之媛の故地とも伝えられている。 しかし、考古学的には、筒城宮址の位置は不明であって、関係の遺跡が木津川ぞいにあったという見解も最近だされている。 一方、「興福寺官務牒疏」に記載のある筒城寺が、現在の普賢寺大御堂を中心とする観音寺であって、筒木大寺や普賢寺址に関係することが知られている。これによって筒城宮の所在地を筒城寺の近接地に比定する見解が生まれた。 1928年に三宅安兵衛の意志によって、浜田青陵博士の筆になるという「継體天皇皇居故趾」の碑が、多々羅の三軒屋に建てられたことはよく知られている。 1960年には、地名の都谷にゆかりを求めた地元の有志による筒城宮跡顕揚会が「筒城宮址」の碑を現在の同志社国際高校の敷地内に建立した。この建立に合わせて、さきの「継體天皇皇居故趾」の碑も隣接地点に移設された。 1986年にこの石碑は、地元の要望もあって同志社大学構内の不動尊遺址碑の脇に再度移設され現在に至っている。 同志社大学 継體天皇皇居故趾 昭和三年春 京都 三宅安兵衛依遺志建之 不動明王古蹟 明治32年4月建之 太宰府宮▲ 正一位不動谷大明神 昭和40年8月吉辰 土地開発有志一同 正一位大地主大神 昭和40年8月吉辰 土地開発有志一同 いそのかみふるき都の跡とひて筒城の丘に鳴くほととぎす 昭和26年春田辺町郷土史会長 村田太平作並▲ |
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■筒城宮址碑他のご案内 |
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